信州大学設置が認可される(法律第150号)
本学は信州大学工学部になる
学生定員 135名 |
機械工学科 45名 電気工学科 30名 通信工学科 30名 土木工学科 30名 |
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役職 | 氏名 | 学科 | 卒業年 |
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会長 | 清水 保雄 | 機械 | S45 |
副会長 | 伊東 一典 | 通信 | S46 |
清水 茂 | 土木 | S49 | |
天野 良彦 | 工化 | S57 | |
常任理事 | 脇若 弘之 | 電気 | S46 |
若林 信一 | 合成 | S48 | |
半田 志郎 | 電子 | S53 | |
山本 博章 | 情報 | S55 | |
榊 和彦 | 機械 | S61 | |
清野 竜太郎 | 工化 | S62 | |
高村 秀紀 | 建築 | H8 | |
曽根原 誠 | 電電 | H14 | |
監事 | 轟 一郎 | 通信 | S47 |
松岡 浩仁 | 精密 | S61 | |
理事 | 宮入 裕夫 | 機械 | S37 |
池田 敏彦 | 機械 | S44 | |
野村 義和 | 機械 | S50 | |
丸山 六男 | 機械 | S52 | |
西木 直巳 | 機械 | S56 | |
遠藤 智久 | 機械 | S57 | |
永田 利雄 | 機械 | S57 | |
中村 正行 | 機械 | S57 | |
松森 徹 | 機械 | S60 | |
鬼頭 宏和 | 機械 | S61 | |
樅山 尚久 | 機械 | S61 | |
櫻井 雅史 | 機械 | H2 | |
佐藤 運海 | 機械 | H4 | |
橋本 卓行 | 生産 | H5 | |
藤田 雄二 | 精密 | S45 | |
降旗 建治 | 精密 | S45 | |
冨田 五一郎 | 精密 | S47 | |
関谷 俊生 | 精密 | S50 | |
寺澤 昭彦 | 精密 | S62 | |
野村 精志 | 通信 | S38 | |
干川 圭吾 | 通信 | S42 | |
花井 雅昭 | 通信 | S43 | |
松原 正弘 | 通信 | S46 | |
遠藤 守信 | 電気 | S44 | |
西 嘉一 |
電気 | S46 | |
土屋 寛 | 電気 | S49 | |
竹田 圭吾 | 電子 | S49 | |
田宮 秀英 |
電子 | S50 | |
中澤 達夫 |
電子 | S52 | |
窪田 悟 | 電子 | H1 | |
有賀 良夫 | 土木 | S46 | |
木田 仁 | 土木 | S52 | |
清水 治彦 |
土木 | S53 | |
関根 邦彦 | 土木 | S53 | |
月原 光昭 |
土木 | S55 | |
廣田 祐司 |
社土 | H5 | |
五十嵐 健二 | 社環 | H17 | |
松本 進 | 工化 | S47 | |
小林 壯 | 工化 | S51 | |
白鳥 敬日瑚 | 工化 | S56 | |
馬場 文明 |
合成 | S48 | |
布施 美千栄 |
合成 | S52 | |
戸田 泰行 | 合成 | S54 | |
矢口 秀昭 | 合成 | S60 | |
山口 朋浩 | 物質 | H6 | |
片桐 規貴 |
物質 | H7 | |
手嶋 勝弥 |
物質 | H7 | |
宮嵜 敬 | 情報 | S55 | |
不破 泰 | 情報 | S56 | |
前田 政人 | 情報 | S57 | |
和﨑 克己 | 情報 | H3 | |
梅干野 成央 | 社建 | H14 | |
名誉会長【工学部長】 | 香山 瑞恵 | 情報 | H3 |
顧問 | 小沼 義治 | 電気 | S34 |
北澤 文教 | 土木 | S35 | |
神田 鷹久 | 工化 | S38 | |
南雲 忠信 | 工化 | S44 |
明治から大正期にかけて我が国で設置された高等工業学校は22校である。昭和期に入り、高等工業学校増設の気運が高まり、昭和14年3月の国会でさらに7校の高等工業学校の増設が定められた。これを機に、長野県内でも高工招致運動が活発となった。昭和15年12月、長野県議会は高等工業学校設置に関する意見書を可決し、昭和16年、長野電気株式会社からの寄付金100万円を基金として運動を展開した。また長野市は、昭和17年に高工設立委員会を発足させた。そして昭和17年12月10日、閣議において長野市に長野高等工業学校を設置することが決定された。
学科 (修業年限3年) |
機械科・精密機械科・航空工学科・ 電気科・通信工学科 各科定員40名 |
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募集人員200名に対して入学志願者は2633名
長野工業学校(現在八十二銀行本店敷地内)の講堂で挙式、同校の一部を仮校舎として授業開始。
高工招致運動の中で、長野県と長野市は校舎および寄宿舎の用地を若里地区で買収し、国に寄付した。
決戦非常措置要綱に基づき、各学科に相応する県内外の軍需工場へ出動した。
長野高等工業学校を長野工業専門学校に。
かつての(長野市若里500)長野工業試験場は、現在の工学部キャンパス用地内の北西部の一帯に位置していた。この土地と建物を長野県から移管され、校舎として使用した。
2年生は県内と東京方面の軍需工場へ出勤、1年生は近隣の村々へ農繁奉仕に出動した。
昭和20年4月1日より、原則として授業は全面的に停止、全学徒はすべて軍需生産、食糧増産、防空防衛、重要研究、直接決戦に緊要な業務に総動員される。
米軍機約10機による波状攻撃を受ける。
学徒勤労動員を中止。引揚げや食糧事情等のため臨時休業に入る。
9月1日から16日まで授業を行い、9月17日、18日の両日、試験を行う。
戦時中の非常措置として、昭和17年度から修業年限を2年半に短縮し、9月卒業を昭和20年まで続けた。
会を長野工専電気通信科同窓会と命名し、
後日校友会誌IMPULSE Vol.1を発刊した。
火災から時を置かずして文部省より昭和21年度新入学生募集延期の通知を受け、学校の存続が危ぶまれた。学校当局および在学生と卒業生は焼失校舎の再建と学校の存続について文部省へ陳情すると共に広く市民に呼びかけて支援を求めた。
設置法は県単位1大学設置の方針のため、長野県下の各高等専門学校は、信州大学設置委員会を組織して、信州大学総合大学案を作成した。また、知事を会長とする信州大学期成同盟会を結成した。
学生定員 135名 |
機械工学科 45名 電気工学科 30名 通信工学科 30名 土木工学科 30名 |
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開校後第6回の卒業式、卒業生総数は累計982名
名称を「信州大学工学部同窓会」とする。
これにより新たな信州大学工学部同窓会が発足した。同窓会の名称を広く会員に募集したところ「若里会」にしぼられていった。そして10月には会報「若里」創刊号の発行に至る。
若里第2号からA5判の製本となる。
編集内容も74ページの充実したものとなる。
昭和25年に結成された工学部学生会は、この日から信州大学工学部学生自治会として新規約の下に活動を始めた。
木造平屋 一部二階建 延73坪
建築費222万円は地元の寄付による。
鉄骨平屋 一部二階建 延171坪
建築費615万円は地元の寄付による。
教官定員:教授4名、助教授4名、助手4名
学生定員:機械・電気・通信・土木 各5名
工学部初の鉄筋コンクリート三階建ての建物であり、これに加えて工学部として初めてのガスの施設が備わった。
昭和35年度から続けてきた4講座制学科新設の運動が実現した。
昭和18年の開校より満20周年を記念して、同窓会は信州大学工学部および学生自治会と共催で、記念式典、記念講演会、祝賀会を行った。記念講演会では初めて2名の同窓生が講演した。
これまでの4学科目制(学生定員40名)が6講座制(学生定員60名)となる。
25周年記念事業実行委員会は用地を戸隠村営スキー場の近くに定め、この日登記を完了した。
場所 長野県上水内郡戸隠村越水 面積 1360㎡(412坪) 購入価格 68万円
東棟:鉄筋コンクリート三階建 西棟:鉄骨平屋建
学部当局は昭和40年2月に大学院設置促進委員会を設立して大学院工学研究科(修士課程)の設置に向けて教官組織、研究、施設設備を強化してきた。また、県経営者協会が大学院設置期成同盟会をつくり、促進に協力した。
この努力が実を結び、昭和42年4月1日から修士専攻の2年課程を開設することが認可された。
学生定員(総員50名)
機械工学(10)・電気工学(8)・通信工学(8)・土木工学(12)・工業化学(8)・精密工学(8)
これに伴い、従来の専攻科(各科定員5名)は廃止された。
工学部から貸切バスで約50名参加。
竣工した山荘を見学後、戸隠スキー場の川中島バス(株)経営の高原ホテルのレストランで祝賀会を行う。
25周年を契機として、若里会の完全な自主性を確立するために会則の変更がなされ、同窓生の中から理事長を選び、工学部長は名誉会長に推薦することとなった。
信州大学開学記念日にあたるこの日に、信州大学工学部同窓会の「若里会戸隠山荘」が開館した。発足当時、山荘の寝具類は整っていたが、食事は近くの高原ホテルからの仕出しでまかなっていた。初年度の夏場の利用客は250名であった。冬場に向けて山荘の入口部分をスキー乾燥室に改造し、暖房および厨房設備を備え、食事は管理人がまかなうことにした。冬場(翌年3月末)までの利用客は780名、初年度の利用客は夏冬合わせて1,030名であった。
(1)常任理事制を設けた。
(2)学部から借用した部屋を同窓会の事務所として整備することとし、他大学の実例等を
参考にして進めることとした。
(3)戸隠山荘の洋間を日本間に改造して収容人員を増やすこととした。
若里会評議員会で同窓会館建設と会の法人化について提案がなされた。
建設予定地を工学部敷地に隣接する姫塚の横に決定した。
同窓会館建設の募金趣意書案の作成に取り組む
全学科の卒業生が一同に会し、卒業と同窓会への入会を祝う卒業式後の祝賀会は、長い間恒例化していたが、昭和40年代に全国的な広がりを見せた学生運動や学園紛争が尾を引き、昭和46年以降は中断の止むなきに至っていた。この祝賀パーティーは50年から復活し、体育館に新卒業生のほぼ全員にあたる三百数十名と教職員および同窓生が集まり、総勢四百名以上で卒業を祝った。
土地面積 165㎡
購入代金 379万円
「わかさと」第17号は卒業式に合わせて、新入会員特集号として全員の氏名と就職・進学先を掲載した。(学部卒347名、院修了41名、計388名)
機械系(機械工学科・精密工学科) 電気系(電気工学科・電子工学科・情報工学科)
建設系(土木工学科・建築工学科) 化学系(工業化学科・合成化学科)
【表紙のモデルチェンジ】
鉄筋コンクリート五階建
長野県農業試験場の農場の跡地に会館と公園緑地などが出現した。後年、工学部と教育学部が卒業式を合同でこの会館で行うようになった。
この年から二学部合同で長野地区の卒業式を行うようになり、現在に至っている。
昭和20年9月、信州大学工学部の前身である長野工業専門学校が初の卒業生171名を送り出してから43年の星霜を経て、平成元年3月卒業式の時点で卒業生の総数は10,310名に達した。
科学技術の発展と社会の変化に対応するため、工学基礎及び専門的な勉学に加えて、学際的な知識の修得を目標として改組が行われた。これにより情報工学科は大幅な増員となったが、機械系以外の学科は減員となった。
昭和50年4月19日に同窓会館建設実行委員会を発足させ、昭和52年11月24日に土地購入。その後の募金状況を「同窓会館特別会計」として扱ってきたが、この年度で実行委員会を解散し、財団法人若里会をもってこれに代え、窓口を継続し、所期事業を推進することとした。
平成4年6月20日の同窓会総会で、理事会の原案が承認された。会則の改正部分は「若里第 41号(H5.3.25)」に新旧の会則を対比して詳細に示されている。
平成元年に行われた大学科制への改組の前は、工学部の学科数は 10学科であった。この日、旧学科の最後の卒業・終了式が行われた。この時点において各学科の卒業・修了者の総数は、エ専時代の航空 (33 名)を加えて、11,712名に達した。
同窓会館の建設予定地として取得した、若里会の所有地と工学部の所有地の境界線は複雑な形状であり、この形状を整正し、土地への入口部の狭さを解消する目的で、両者の所有地の等積交換を行う交渉が昭和63年から続けられてきた。この日、法的な手順を経て交換の契約に至った。
工学部に在職する若手教官の研究活動を支援する目的で財団法人信州大学工学部若里会の事業のひとつとして創設した。
信州大学工学部主催、信濃毎日新聞社共催、財団法人信州大学工学部若里会後援で開催。
太田三郎氏(オリオン機械株式会社代表取締役会長)が会社創立50周年に当たり、私財を投じて鉄筋コンクリート三階建の建物を土木工学科棟の南東部に建設し、内部の付帯設備ー式と共に工学部に寄贈した。これは国際交流に寄与できる多目的な施設を大学へ寄付したいという同氏の篤志によるものである。
平成9年から山荘の経営方針を利用客へのサービスに重点を置くことにした。夏季の営業を休んで下水道を整備してトイレを水洗とし、客室も気持ち良いように改装した。これまでの季節限定の開館期間をオールシーズンオープンに改めた。新しい管理人は客の入らない場合は室内の補修や美化を行い、1年後には山荘はピカピカの快適なものに生まれ変わった。管理人の料理やサービスも好評で、利用客の数も年ごとに回復していった。
工学部からボランティア活動への参加者数 学生556名 教職員41名
山荘の入口が広くなり、
用地面積は 412 坪から 431 坪に増加した。
(財)若里会の公益性と社会寄与の原点から、
最新の科学技術を展望できる情報誌として「技報こまくさ」を創刊した。
創刊号は平成7年から実施してきた母校の若手教官の研究成果を総括した。
以後は毎年1回の発行となった。
信州大学を含む99の国立大学が平成16年度(2004年)から法人化された。昭和24年(1949年)の新制大学の発足以来の大きな改革である。それぞれの大学が独立の法人となり、「国 立大学法人・信州大学」が「国立大学・信州大学」を経営することとなった。
鉄筋コンクリート五階建
信州大学工学部創立60周年記念事業の一環として実現したSASTecの二階の一室に、同窓生を中心とした産学連携の研究交流室が誕生した。広さは10m × 6m = 66㎡で、会議コーナー、事務コーナー、応接コーナーに仕切られ、60年以上にわたる同窓会の活動記録も分類保管されて、同窓生諸氏の来学を待ち望んでいる。
信州大学工学部創立60周年記念事業が完了し、役割を終えた同窓会館建設寄付金会計を終了し、新たに創立記念事業基金が創設された。
若里会発行の技術誌として継続して発行され、本号以降も10号(H24)~16号(H30)が既刊となっている。
「信州大学工学部創立60年の歩み」から抜粋した別冊を5,000部発刊し、賛助会員(入学生の保護者)への配布、外部への同窓会の紹介・宣伝などに利用している。
副理事長 神田鷹久が理事長を代行。
卒業生の中から、社会や企業等の第一線で活躍しているベテランと新進気鋭の若手を招き、在学生の勉学意欲の高揚を図り、進路選択等に資することを目的に、平成23年から毎年継続的に実施されている。
演題:変化への対応~目標を定め、変革の実現~
講師:長野日本無線(株)代表取締役社長 丸山 智司(通信S45)
演題:会社生活を楽しむ大切なこと
講師:オルガン針(株)営業開発本部 三矢 麻衣(物質H11)
旧「信州大学工学部若里会」は、公益法人として昭和62.10.1に法人格を取得したが、民法改正(平成20.12.1施行)に伴い一般財団法人に移行した。
それまでの公益法人は、宗教、慈善、学術等の非営利目的を根拠に、主務官庁より許可されたが、設立が難しい反面、一旦設立されると認可取消処分が滅多に無いために、休眠法人や公益性に疑問を持たれる法人も存在するようになった。そこで、税法上優遇される公益法人の認定を厳格化する一方で、一般法人法を制定して設立を容易にする制度改革が行われた。
演題:ものづくりの意味と未来
講師:新光電気工業(株)代表取締役社長 倉石 文夫(合化修S54)
演題:日産リーフの開発
講師:日産自動車(株)EV技術開発本部 池田 達彦(機械修H2)
(下記の会則抜粋において、下線部が改訂箇所。正会員の定義の簡潔化、賛助会員を大学院在学生まで拡大、理事長・副理事長から会長・副会長への役員名称の変更、終身会員資格の見直し等の諸改訂が行われた。)
第2章 会 員
【第3条 本会は下記の会員をもって組織する。】
1 正会員 長野工業専門学校、信州大学工学部、信州大学大学院(若里キャンパス)に在籍し、卒業あるいは修了した者、および本会が認めた者。
3 賛助会員 工学部在学生保護者、または他大学から本学大学院に入学し在籍している者。
【第4条 役員及び会議】
1 本会に次の役員を置く。 会長1名、副会長3名、常任理事 若干名
4 常任理事会 常任理事会は会長、副会長、常任理事および監事にて構成する。会長は副会長、常任理事、監事を招集し、議長となり会務に必要な事項を審議し、会務の執行を図る。
第6章 会 計
【第12条 会員は下記の会費を納入するものとする。】
1 正会員は、会費として年額2,000円を納入するものとする。納入会費合計40,000円を上限とし、これに達し次第「終身会員」とする。
2 賛助会費は、在学中に30,000円を一括納入するものとする。賛助会員が保護者の場合、学生の卒業と同時に卒業生本人を正会員および[終身会員]とする。本人が賛助会員の場合も、卒業と同時に正会員および[終身会員]とする。
演題:時代スピードへの対応
講師:日置電機(株)代表取締役社長 町田 正信(電子修S61、博修H11)
演題:若里からグローバル競争の舞台へ
講師:(株)東芝ストレージプロダクツ設計生産統括部 滝澤 和孝(電電修H16、博修H19)
25.9.14公告、25.10.22入札・落札、旧土地所有者の佛導寺へ売却
演題:橋梁建設(昭和後期~平成)の技術の変遷からメンテ時代へ
講師:横河工事(株)前社長 上原 修(土木S46)
演題:現代と向き合う若者
講師:富士通インターコネクトテクノロジーズ(株) 宮島 由利子(物質修H19)
演題:会社創業と信州大学工学部学生時代の恩師との御縁
講師:マイクロストーン(株)代表取締役社長 白鳥 典彦(工化S56)
演題:5年目を迎えて思うこと
講師:(株)日立製作所インフラシステム社 藤井 貴之(電電修H23)
昭和30年に東京、中部、南信、東信、33年に関西、34年に東海、36年に北信、40年に関東、昭和42年に北海道のそれぞれの支部が相次いで結成されたが、平成15年に制定された個人情報保護法による制約や社会・職場環境の変化等の影響を受け、支部役員の努力にも限界があり、同窓会員を束ねる組織的な活動が困難な状況となった。多くの支部の活動は休眠状態に陥った。一方で、(株)日立製作所及び関連企業に勤務する工学部同窓生を中心に昭和38年頃から始まり、信州大学他学部出身者も含む同窓懇親会が発展して平成21年に茨城県北地区同窓会「こまくさ」会として発足した支部の例もある。平成28年以降、同窓会本部からの働きかけや活動費支援の強化を契機に、各支部の再構築・再編が始まった。そして、会員数が多い旧北信支部は長野支部と北信濃支部に分割再編され、新支部として活動を開始している。
【再構築された支部】
H28.10.15東信支部 支部長 清水 信孟(電気S41)
H29.6.10 中信支部 支部長 竹田 圭吾(電子S49)
H29.11.4 南信支部 支部長 浦野 正敏(精密S42)
準備中 関東支部 支部長 宮入 裕夫(機械S37)
【新設支部】
H21.11.11茨城支部(信州大学茨城県北地区同窓会「こまくさ」会)
支部長 丸山 征一(電気S36)
H30.5.26 北信濃支部 支部長 綿貫 隆夫(工化S43)、
H30.7.14 長野支部 支部長 湯本 泉(機械S38)
演題:卒業後50年、今も意欲を持って楽しく働き続けられている源を考える
講師:松本商工会議所専務理事 胡桃澤 宏行(精密S42)
演題:ものづくりの世界に身を置いて
講師:多摩川精機(株)モータトロニックス研究所 岡島 徹弥(電電H24)
演題:本年度の工学部における就職活動の概況
講師:信州大学工学部就職支援室 特任教授 伊藤 一典(通信S46)
工学部卒業予定者の中から、学業において優秀な成績を修めるのみならず、学内外での活動等にわたり鋭意研鑽に努め、他の学生の範となった者を表彰することにより、その栄誉を讃えると共に、在学生の修学意欲を高揚し励ますことを目的として、平成28年度に創設された。
表彰状と記念品(副賞)を授与。副賞は工学部の加工技術センターが製作したオリジナル「レリーフ」で、工学部正門からの風景が描刻されている(B5版、アルミニウム合金板製、艶消黒染アルマイト加工、桐箱入)。
演題:理想の技術者教育を求めて
講師:元東京工業大学附属科学技術高等学校副校長 中村 豊久(工化S38)
演題:社会人を目指すあなた
講師:松本市上下水道局 塩原 健一(電電H16)
30.9.21公告、30.10.23入札・落札、隣接地でロッジ経営の梅田晃尚氏へ売却
演題:温暖化の今、自然林の再生を
講師:NPO法人国際ふるさとの森づくり協会(レナフォ)理事長 髙野 義武(土木S42)
演題:入社2年目に思うこと
講師:新光電気工業(株)開発統括部 松澤 拓也(情報修H29)
銅板製記念碑を信州科学技術総合振興センター1階ロビー(エレベータ前)横壁面に設置